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株式投資関連
損失の記憶(前編) 2004年8月15日掲載
98年3月 橋本内閣での消費税率引き上げをきっかけに景気は低迷していました。株式市場も低迷を続けていて、政府による株価維持目的のPKO(Price Keeping Operationの略です)の噂がささやかれていました。
まだ、ITバブルよりも前の事です。

僕は、株式投資をスタートして2〜3年程度が経ち、下げ局面でも利益を出すために信用取引に手をだして少し経ったころでした。信用取引スタート後は、下げ局面だったこともあり、ほとんどの空売りで成功し多額の利益が出ていました。
当時一部では、政府は日経平均株価を底上げするために、当時の日経平均採用銘柄のうち、品薄銘柄であるYUASA(現:GSYUASAホールディングス 6674)やメルシャン(2536)を買い支えしているという噂がありました。

とすると、私はその株価下支えも3月末までだろうから、4月以降はこれらの銘柄は下がるだろうと予想したわけです。
で、私は日経平均株価採用品薄銘柄のうち業績が非常に悪かったYUASA(当時のコード6933)を空売りしました。

この予想が当初はドンピシャと当たり、とりあえず株価は大きく下がり始めました。

しかし、数日後YUASAは次世代燃料電池開発の噂というのが出て、株価が上がったのです。燃料電池の噂は一時的だろうと考え、私はさらに空売りを上乗せしました。
結局、案の定、株価は2回の空売りの損益トントンラインまで落ちてきましたので、買戻しをしようとしたところ、担当証券マンが
「もう少し待てば利益が出ますよ。」
という悪魔の言葉を囁きました。
私も、自分の意思を貫けばよかったのですが、結局証券マンの言うままに買戻しをしないまま数日が過ぎました。

すると再び株価がするすると上昇を始めたのです。
確か、1回目の空売りが160円、2回目の空売りが209円でした。さすがに当時は恐怖心が先に立ち、追証が出る前に282円で損切りしました。この時点で120万円くらいの損失でした。

当時としては、かなり高い授業料でしたが、YUASAは、その後も大きく上昇を続け、300円を超えてから連日10%近い上げになりました。私の損切りの判断は正しかったのです。

しかし、その後、私はさらに大きな失敗を。。。
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損失の記憶(後編) 2004年8月17日掲載
98年7月
YUASA(6933)は、その後も大きく上昇を続け、300円を超えてから連日10%近い上げになりました。
その当時、石川製作所(6208)という銘柄が、自衛隊海外派兵関連の防衛銘柄として、すごい上昇(たしか60円→800円を短期間で演じた)をしていました。

「次世代燃料電池のYUASA」と「防衛関連の石川製作所」の2銘柄は低迷する市場と相反して、ともにすごい上昇パワーです。

そこで営業マンから一本の電話です。
「えすさん、株主優待用に買っているJR東海(9022)東急レクリエーション(9631)を売って、取り返しませんか?今のパワーならYUASAは800円くらいまで行きますよ。」

資産の多くを失ってショックを受けていた私は素直に前日450円くらいまで上がっていたYUASAを翌日成り行きで買いを入れることにしました。

翌日は、寄付きから買い気配でずっと値がつきません。
気配は510円でようやく寄り付きました。

運の悪い(良い?)ことにこの日、私はゴルフコンペで連絡がつきませんでした。
前日入れた注文の結果を朝のゴルフ場で気にはしていました。
ゴルフ終了後に、ゴルフ場から証券会社の営業マンに電話すると、営業マンの声色がさえません。「イヤー今日は、石川、YUASAともに一服でしたが、明日は戻りますよ。ご安心ください。もし明日も下げるなら、もう1000株買い足してください。ここは強気で対処です。」
で、翌日は売り気配からスタートし、安いところで1000株追加購入しました。

もうここまで読んだところで賢明な読者の皆様は、だいたい結末がわかったのではないかと思います。

案の定、YUASAはその後快調に下げ続け、10月には元の200円を割り込みました。
僕自身も、3ヵ月後絶望的な気持ちで181円で全て損切りし、しばらくの間、株式市場から足を洗ったのでした。

今考えると、結局、次世代燃料電池というのも、値段を吊り上げるための何らかの情報操作だったのかもしれません。